我慢するのをやめたら、少しずつ人生が戻ってきた話

立て直し記録

我慢することは、いいことだと思ってた。
空気を読んで、波風を立てず、
多少しんどくても耐える。

それが大人だし、
ちゃんとした生き方なんだと思ってた。

でもある時、ふと気づいた。
我慢し続けた結果、残ったのは
「頑張った自分」じゃなくて、
何がしたいのか分からなくなった自分だった。

何か大きな事件があったわけじゃない。
ただ、毎日少しずつ削られていって、
「自分はまだ大丈夫」って思い込んでいただけで、
とっくに限界は超えていたらしい。

結果、私は一度壊れた。
でもそこから、少しずつ
「我慢するのをやめる」ことを始めた。

全部じゃない。
一つずつ、できることから。

あれもこれも我慢することをやめたら、ただのわがままになっちゃうしね。

じゃあ、どんな我慢をやめたのか?について話そうと思う。


① 自分の心の声を無視するのをやめた

しんどい。
やめたい。
逃げたい。

そう思うたびに、
「気のせいだ」
「甘えだ」
そうやって、自分の中で打ち消してきた。

でも今思えば、
あれは全部、ちゃんとした心のサインだった。

無視し続けた結果、
何が楽しいのかも、
何が嫌なのかも、
分からなくなっていった。

だからまず、
「嫌だな」と思った自分を
否定しないことにした。

それだけで、
少し息ができるようになった。


② 我慢しすぎるのをやめた

我慢は、美徳だと思っていた。
耐えられる人間の方が、強いと思っていた。

でも現実は違った。
我慢は、静かに心を削っていく。

削られて、削られて、
気づいた時には
何も残っていなかった。

「まだ大丈夫」
「もっと頑張れる」

そう言い聞かせていたけど、
本当は、
もうとっくに限界だったんだと思う。

我慢をやめるって、
何もかも投げ出すことじゃなかった。
ただ、これ以上自分を追い込まないことだった。


③ 一人で抱え込むのをやめた

決定的に揉めた出来事があったわけじゃない。

職場では、上司からのパワハラ。
家では、しょっちゅう怒られていた日常。
成果の出ない副業。
短い睡眠時間。

全部が少しずつ積み重なって、
ある日、ポキッと折れた。

何度も「病院に行こう」と言われていたけど、
私はずっと断っていた。
自分はまだ大丈夫だと思っていたから。

ある時、説得されて、
半ば無理やり診療内科に連れていかれた。

その日、医者に言われた。
「会社、休みましょう」

その一言で、
初めて気づいた。
自分は、もう限界を超えていたんだって。

え?会社休むの?でも、私が休んだら仕事が。。。とも思ったけど

今となっては、あの時から会社を休んでよかったと思ってる。


④ 休んだ先にあった現実と、回復の話

「人の心は紙みたいなものだから、一度くしゃくしゃにしたら、伸ばしても元には戻らない」

そんなことを誰かが言っていた。

当時の私は、
あぁ、私の心はもうくしゃくしゃで、
元には戻らないんだなって、
本気で絶望していた。

休職してから、
朝が起きられなくなった。
一日20時間寝ていたような時期もある。

何もできない自分に焦って、
それでも体は動かなくて。

でも、少しずつ、少しずつ、
本当にゆっくり、良くなっていった。

その過程で、
引っ越しをしたり、
離婚をしたり、
パートナーが増えたり、
色々あった。

決して順風満帆じゃなかったけど、
今はもう、
普通に仕事ができるところまで戻ってきた。

今では思う。
くしゃくしゃになった心も、
それも含めて自分なんだって。

だから今は、
自分を大切にしようと思えている。

そして、これまでの人生の中で今が一番幸せ。


⑤ それでも、生き直すことはできる

あの頃の私は、
「もう元には戻れない」と思っていた。

でも今なら言える。
人生は、思っているよりもしぶとい。
人は案外、生き直せる。

全部を変える必要はなかった。
ほんの少し、
自分を守る選択をしただけだった。

もし今、
「もう限界かもしれない」
そう感じている人がいたら。

それは、終わりじゃない。
立ち止まっていいという合図かもしれない。

ちゃんと暮らさなくていい。
ちゃんと生きなくていい。

まずは、
壊れかけている自分を
これ以上追い込まないこと。

このブログは、
うまく生きている人の成功談じゃない。
遠回りしながら、
それでも生き直そうとしている
一人の記録だ。

同じように悩んでいる誰かに、
「一人じゃない」と伝わったら、
それで十分だと思っている。

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